里親体験談

子どもが健やかに成長するには、家族に愛され、また子ども自身が愛されていることを実感することが大切です。

ところがいま、日本にはさまざまな事情で家族と離れて暮らす子どもが約45,000人もいます。

そうした子どもたちを自分の家庭に迎え、家族の“あたたかさ”に触れる機会を提供する制度、それが「里親」です。

何かしたいと思っているあなたにも、できることがあるかもしれません。

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双子の育児に戸惑い、里親を一時「休憩」
心のリセットで得た笑顔と成長の日々

鷺谷信二さん(51歳)・円さん(46歳) 東京都在住
児童養護施設でのボランティアをきっかけに、東京都のフレンドホーム(※)という制度に登録。2015年に養育家庭の登録。2017年11月に1歳5ヶ月の男の子の双子を紹介される。

専門学校に通っている男子に加え、今年2月から2歳9か月の双子の男児を受託している。元気な双子の笑い声が響く家庭は、とても明るく、にぎやかだ。

児童養護施設のボランティアを夫婦でしていたことが、里親になるきっかけだった。休日などに子どもを預かる東京都の「フレンドホーム」という制度をスタッフから紹介され、2005年に当時、小学校1年生だった男の子を受け入れた。

「週末などを一緒に過ごし、家族旅行にも一緒に行きました。そういう関係を10年続け、もう少し踏み込んだ関わり方について夫婦で話し合い、里親登録を決断しました」と円さんは語る。施設主体のフレンドホームと児童相談所がマッチングする里親制度との違いもあった。受託決定まで時間もかかり、本人の高校卒業を待って、昨年3月から同居が始まった。

その後、里親登録を更新する日が近づいてきた。さらに別の子どもを受け入れることができるか、ということだ。信二さんは「ご縁があればもう一人お世話できたら、という思いで更新を決めました」と話す。

2017年11月に紹介されたのは、当時1歳5か月の双子の男の子だった。「私は50歳になっており、これほど小さな子を紹介されるとは思っていませんでした」と信二さん。不安もあったが、夫婦で話し合い、先に受け入れていた男子とも相談した。「紹介される子どもを選り好みできない。まず触れ合うことから始めよう」と受け入れを決めた。

約6か月間、平日は円さん、週末は信二さんも加わり、乳児院に通って双子と交流し、短期のお泊まりも経験した。そのうえで、2018年8月から長期外泊、すなわち自宅での同居生活がスタートした。

「とても明るい子たちで、すぐになじんでくれました。にぎやかで楽しかったのですが、そればかりではありませんでした」と円さんは打ち明ける。男の子たちは活発で、仲よく遊んでいたかと思えば、突然激しいけんかが始まる。かといって二人を離せば寂しがる。「朝から夜まで双子に付きっきり。行動が全く予想できず、育児への自信を失くしてしまいました」
信二さんは「預かった以上、責任を果たさなくてはいけないと当時は考えました。ただ、今ではそれは建前だったのではないかと反省しています」と語る。円さんはくたくたになり、次第に夫婦の会話も少なくなった。このままでは子どもたちのためにも良くない、と児童相談所と話し合い、長期外泊開始から約1か月後、双子を一時的に乳児院に帰すことになった。

だが、この“休憩”で、気持ちを切り替えることができた。児童相談所と相談を繰り返し、里親の先輩たちからもアドバイスをもらった。信二さんは「知らず知らずに妻を追い込んでいたことに気付きました」と当時を振り返る。円さんは“大きな怪我や病気をさせずに二人を育てることが、果たしてできるだろうか”という漠然とした不安に押しつぶされそうになっていたのだ。
夫婦で十分に話し合い、児童相談所の面接を経て双子を再び受け入れることになった。乳児院で再会したとき、双子はスタッフの背後に隠れ、照れ笑いをしながら迎えてくれた。「彼らのほうが、私たちが親になるのを待っていてくれた」と気づかされた瞬間だった。

「最終的には、夫婦で幸せになるために一緒に過ごすんじゃないの?」「自分自身が、どうしたいかよ」。円さんは、そうした里親の先輩たちの話で心が軽くなったという。「親子の形はいろいろあっていい、鷺谷家流でいいんだ。そう思ったら、肩の力が抜けました」
今では日々成長する姿を見られるのが大きな楽しみ。円さんは「屈託のない笑顔を見ると、どんな苦労も吹っ飛びます。私たちの方が助けられているなあ、と感じています」と穏やかな笑顔で語った。

※児童養護施設や乳児院で生活している子どもを、学校がお休みの期間などに、各施設で登録している一般の家庭で数日間預かる制度

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「お父さん、お母さん」と呼べるうれしさ
その両親の大きな支えに恩返しをしたい

坂本歩さん(24歳) 東京都在住
明治大学総合数理学部現象数理学科に在籍し数学の教師を目指して勉強中。児童福祉の活動を行うIFCAのほかに、八王子の里子の会「ほいっぷジュニア」の代表を務める。

小学校1年生の夏に坂本家に引き取られ、2016年9月に養子縁組をして正式に親子となった。今は、母を手伝って、年少から中学3年生まで5人の子どもと生活を共にする「ファミリーホーム」のスタッフを務めている。

「生後1か月くらいの時に、2歳上の兄、1歳上の姉とともに乳児院に入りました。その後ずっと施設にいましたから、両親の記憶はありません。小学校1年生の時に初めて、『お父さん』『お母さん』と呼べる人ができたことが、ものすごくうれしかったのを覚えています。不安よりも楽しみ。『家族』というものが自分にもできたんだ、という喜びがとても大きかったですね」

坂本家には、先に兄が世話になり、その1年後に姉とともに引き取られた。他に姉と同じ学年の女児、歩さんの1学年下の男児がいた。

「きょうだい3人一緒に引き取っていただけたこともあり、すんなりと家庭に入ることができました。児童養護施設で同じような境遇の子どもたちと暮らしていましたから、先にいた子たちともすぐに打ち解けました」

児童養護施設では、食事や風呂などの時間も皆と一緒で、一人になれる時間はあまりなかった、という。

「やりたいことをやらせてくれるのが、母の方針でした。やはり遠慮があって、あまり無理は言えなかったのですが、私が最初に言ったのが『風呂に一人で入りたい』ということでした。一人になれる時間がほしかったんですね」

恒例行事である家族旅行が何よりも楽しみだった。
「毎年夏休みに、家族そろって伊豆や熱海などに泊まりがけで出かけました。そんなこと施設ではできませんでしたから、それは楽しくて仕方ありませんでした」

小学校時代にはいじめにも遭った。兄弟が多く、親と顔が似ていない。一般的な家庭と少し違うことから、ターゲットにされたのだ。
「いじめられていることは、両親にはとても言い出すことができませんでした。携帯電話にもひっきりなしに心ない言葉の暴力のメールが入り、そのたびに削除していました。それに母が気付いて、学校にかけあってくれました。いじめ行為はなかなかなくなりませんでしたが、心から私のことを心配してくれて、とても感謝しています」

両親は歩さんの学びたい意思を尊重した。中学受験も応援してくれて、私立大学付属中学に進学。そのまま大学に進み、今は数学の教師を目指している。
「施設にいたままでは、高校を卒業したらすぐ就職することがほとんどです。とても大学に進学することなど考えられなかったと思います。素晴らしい里親家庭に引き取られて家族の温かさを知り、社会的な視野を広げることができました。父が教師をしていることもあり、自然と教師という仕事に興味を持ちました。両親は、私の人生の選択肢を増やしてくれました。その意味でも心から尊敬しています」

父が体力面で不安を抱えるようになったため、父に代わって、母と共に子どもたちの世話をする決心をした。父親代わりとして学校への送り迎えや病院への付き添い、学校行事への参加などを行っている。
「日々成長する姿を実感できるのが、私にとっても喜びです。児童養護施設で育った子どもは18歳で施設を出なくてはいけません。だけど、そういう子どもたちに、何かあったときに帰れる場所を残してあげたい。自分が、里親家庭にとてもよくしてもらったことから、自分と同じように家族の温かさを感じてもらいたい、と考えるようになりました」

児童養護施設や里親家庭などで育った経験がある人たちなどで構成されているNPO法人IFCA東京ユースでも活動している。
「当事者の立場から、制度をより良いものにしていくことに役立ちたい、と思っています」

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いい親にならなくては・・・気負っていた私
子育て8人「待ってあげる大切さ」知る

金川世季子さん(68歳) 埼玉県在住
現在は、2年前に養子縁組をした29歳の息子、高校3年の娘と中学2年の息子の3人の子どもと一緒に暮らす。自らの経験を役立ててもらおうと、埼玉県の里親等相談支援員を務める一方、「埼玉里母の会」と「志希の集い」のメンバーとして活動している。

「21歳で結婚し、子どもができなくて不妊治療を続けていました。夫が転勤族で、一つのところに長く住めないことから、私自身、仕事に就くこともできないまま30歳近くになった時に、『このままでいいのかな。なにか一生続けられる仕事をしたい』と思うようになったのです。それで、『一生続けられる仕事ってなんだろう』とよくよく考えた結果、『自分は子育てをしたい。家庭で、子どもを大きくなるまで育てたい』と思ったのです」

1980年のことだった。ところが、当時は里親制度自体、あまり世間になじみがなく、金川さんもその存在を知らなかった。
「ある児童養護施設にボランティアで行く機会があり、その時初めて、様々な理由から実の親と暮らせない子どもがたくさんいることを知り、とても衝撃を受けました。そうした子どもたちを私たち夫婦で育てることができるだろうかと施設の方にうかがったところ、児童相談所に行くことを勧められ、そこで初めて里親制度のことを知りました」

いまでは制度も整い、里親になるには、制度に関する研修を受講するなどした上で、児童福祉審議会などでの審議を経て、認定を受けるという手順が必要で時間もかかるが、当時はいまより登録の手続きは簡素だった。2月に里親登録をして、5月に最初の委託の相談があった。小学1年の男の子だった。ただ、その時は、成育状況などをかんがみて、「まずは施設で預かってもらう」ということになった。

「夏休みに1週間ほど、『お泊り』に来てもらったのですが、施設に帰ってから、『おばちゃんのところに帰りたい』と言って、しくしく泣いていたそうです。それで、2学期が終わった時点で、委託を受けることになりました」

2学期の間、夫が保護者会に出席するなど、受け入れの支度をしていた10月、近所に緊急の受け入れが必要な子どもがいるということで、急きょ里親になることになった。2歳10か月の男の子だった。その年の暮れには、2人の子どもの里親になっていた。

「まったく子育ての経験がない2人ですからね。最初は本当に大変でした。いまでも忘れられないのは、おねしょ。環境が変わったので、2人とも毎晩のようにおねしょをするのです。当時住んでいたのが寒冷地で、なかなか布団を干すことができず、困り果てました。でも、幸いなことに、2人ともとてもいい子で、すぐになじんでくれて、『おかあさん』と呼んでくれました。なにものにも代えがたい幸せを感じ、『里親になってよかった』と思いました」

以来、これまでの間に、合わせて8人の里親を務めてきた。6年前に自立した34歳の娘は近所に住んでいることもあり、よく実家に帰ってきてくれる。県外に住む42歳の息子が送ってくれる孫の写真や動画を見るのも楽しみだ。「実家に心を寄せてくれるのがうれしい」と金川さんは目を細める。現在は、2年前に養子縁組を結んだ29歳の息子を筆頭に、高校3年の娘と中学2年の息子の3人の子どもと一緒に暮らしている。
また、自らの経験を他の里親の方にも役立ててもらおうと、一般社団法人埼玉県里親会が県から委託を受けた「受託前後の里親支援事業」の里親等相談支援員として受託直後の里親の不安に寄り添うかたわら、「埼玉里母の会」と「志希の集い」のメンバーとして日々活動を続けている。

「里親になりたての頃は『いい親にならなくては』とかなり気負っていて、それが子どもの負担となり、なかなか信頼関係を築くことができませんでした。それが、経験を積むことで、肩の力が抜け、子どもを『待ってあげる』ことができるようになりました。それで随分、子育てが楽になりました。
長く里親をしていて思うのは、子どもが本来持つ、『成長したい』というエネルギーは、とても大きくて素晴らしくて、まぶしいということです。結局、私たち親ができることといえば、子どもがちょっと道を踏み外そうとした時に、そっと押し戻してあげるだけなのかもしれません。これから里親になろうという方には、ぜひそのような存在になっていただきたいですね」

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