9月4日は「供養の日」
各地に息づく日本人の感謝の姿を訪ねて

9月4日は、一般社団法人供養の日普及推進協会(大澤静可会長)が定めた「供養の日」。
供養の大切さに改めて思いを寄せ、
人やモノに対する感謝の気持ちを喚起する
目的で昨年、制定され、
一般社団法人日本記念日協会から
記念日登録証を授与されてから、もうじき
2回目の記念日を迎える。
日本人にとっての供養とは何かを探るべく、日本各地に残る様々な供養の姿を訪ねてみた。
新盆の家を一夜で巡る念仏集団
遠野市「ミソウロウ」

東北新幹線の新花巻駅から30kmあまり、標高約300mの山間に位置する岩手県遠野市小友町の長野地区に穏やかな夕暮れが訪れる頃、1549年開基の地元の寺院・西来院の本堂前にかがり火が焚き上げられた。お盆の8月14日。お寺が開基される前から土地に伝わる、土地独自の供養行事「ミソウロウ」の始まりの合図だ。
同地区を貫いて流れる長野川に沿って、上流から上、中、下の三つの班に分かれた念仏集団が、その年初めて盆供養される死者のために、お寺とお墓と新盆を迎えた家を順番に念仏を唱えて回る。
午後6時、最初にお寺を訪れた中の班のミソウロウが始まった。境内に入る前に、まず8人のメンバーが鉦(かね)と太鼓に合わせ、独特な抑揚で「お庭褒め」という褒め歌を歌い始める。庭以外にも、寺や墓にも敬意を表す褒め歌があり、その場に出会うごとに歌われる。霊を慰める和讃(わさん)も成人、子ども、男女によって歌い分けられる。
お寺から、すぐ裏手にあるお墓に場所を移し、さらにミソウロウは続けられる。その頃には、だいぶ陽も暮れて、薄暗闇の中でわらに火が灯されると、一段と厳かな雰囲気が増してくる。

お墓でのミソウロウを終えたメンバーは、車で3分のところにある新盆を迎えた家に向かった。新盆を迎えた家は、帰ってくる死者の魂の目印として、ミソウロウの1週間前の7日に、先端に杉の葉を掲げ、故人の俗名を記した盆旗と提灯(ちょうちん)を結び付けた、高さ10m弱の「燈籠木」(とうろうぎ)を掲げるのが、この地区の慣習だ。すっかり陽が暮れた中、燈籠木の提灯の明かりが、メンバーを導いてくれる。
新盆を迎えた家の仏壇前に置かれた施餓鬼(せがき)棚に向かって、メンバーが念仏を唱え、1軒目のミソウロウを終えた。今年は、中の班には3軒から供養の依頼があり、このあと、2軒目、3軒目のお墓と家を回った。
ミソウロウとは、精霊(しょうりょう)に「御」をかぶせた「御精霊」、もしくは初めて盆にまつられる死者の霊を示す「新精霊」に由来する言葉とされる。由来がわかる資料が乏しく、高野山を本拠とする遊行者・高野聖が伝えた、という伝承が残るだけだ。唱えられる念仏には、曹洞宗、真言宗、浄土宗の教えがそれぞれ盛り込まれており、郷土史家の菊池金孝さん(85)は、「権力による宗教への締め付けが厳しくなったのは、織豊時代より後のこと。それ以前の宗教に寛容だった時代の名残ではなかろうか」と解説する。となると、日本の供養の原形をとどめていると言ってよいかもしれない。
無事ミソウロウを終え、中の班の世話役の一人、高橋篤さん(63)は、「全国的に珍しい慣習だそうですが、地元の者にとっては、小さい頃から見慣れた普段の風景。これからもずっと残していきたい」と話した。
感謝の1000膳、神火で焼納
三条市「はし供養祭」

越後平野を流れる信濃川の川岸から歩いて約5分、ひときわ荘厳な拝殿を構える新潟県三条市の一の宮・三条八幡宮に、大人たちに混じって、続々と子どもたちが詰め掛けてくる。8月4日の「箸の日」にあわせて、これから同神社で行われる「はし供養祭」に参加しようというのだ。
同神社で初めて「はし供養祭」が行われたのは、1978年のことで、当時、全国的に「子どもに箸の正しい使い方を伝えよう」という気運が盛り上がっていた。その趣旨に賛同した当時の三条割烹組合(現三条総合飲食サービス業組合)の有志が、「箸の正しい使い方」に加え、日頃お世話になっている箸に感謝の気持ちを示す目的で始め、2年後、県央食品衛生協会三条支部(石川友意・支部長)が運営を引き継いだ。途中、一度水害で中止になったことがあり、今年が節目の40回目となった。

はし供養祭では、まず拝殿で神事が執り行われ、祝詞の奏上に続いて、約20人の関係者が玉串を奉てんした。その後、拝殿前の焼納台で神火を焚き上げ、この日のために集められた1000膳以上の箸を焼納し、供養した。
「供養という行為は、人やモノに対する感謝の気持ちの表れだと思います。日本人はずっとそれを大切にしてきた。ただ、残念ながら、そうした気持ちが徐々に薄れつつあるようにも感じます。改めて感謝の気持ちを思い出してもらえるよう、長くはし供養祭を続けていきたい」
神火の炎をながめながら、石川支部長はこう話した。
古くから、日本を始めとした東アジアの人々は、人やモノを供養し続けてきた。モノでいうと、針、人形といったところは、よく知られ、全国的に広く行われている。ほかにも、こけし、刃物、毛髪、筆、めがねといったように、ありとあらゆるモノが供養されている。
入れ歯、フライドチキン、生き物・・・
日本全国の供養
岡山県瀬戸内市の妙興寺では、2001年から、イレバ(108)の日の10月8日に入れ歯供養が行われている。提唱者の歯科医師・中條新次郎さん(58)が経営する歯科医院とお寺に届けられる入れ歯は、例年200~300にのぼる。中には、「亡くなった夫が使っていたもので、どうしても捨てられません。供養をお願いします」と書かれた手紙が添えられていたものもある。それらを三方に載せ、供養する。供養した入れ歯は、リサイクル可能な金属部分をとりはずし、業者に買い取ってもらう。
「それぞれのモノに宿る魂に感謝の気持ちを捧げる供養は、日本人ならではの慣習で、日本人のアイデンティティーでもあります。とても貴重なもので、それを忘れないよう、これからも入れ歯供養を続けていきたい。いずれは、リサイクルで貯めたお金を元手に供養塔を建てたい」
と中條さんは話す。
食べ物、食材に対する供養も盛んだ。たとえば、ふぐ、牡蠣、うなぎ、クジラ。あと鶏。日本ケンタッキー・フライド・チキンが毎年6月頃に東京・東伏見稲荷神社と大阪・住吉大社で行っているチキン感謝祭=鶏供養は、企業が行っている点でも珍しい。同社広報部によると、1974年から行っている行事で、今年で45回目と歴史も古い。
「KFCでは、おいしく安全で健康的なチキンをお客様にご提供するために、たくさんの関係者が日々、情熱をもって取り組んでいます。『オリジナルチキン』は、1羽1羽、大切に取り扱われて、おいしいフライドチキンとなっています。チキン感謝祭では、そのようなことを改めて関係者一同認識し、身を引き締めると共に、ビジネスの発展を祈願しています」(同社広報部)
ちなみに、世界中で展開するKFCにおいて、このような行事を行っているのは、日本だけだそうだ。
食用ではないが、同じ生き物として、長崎県島原市では、毎年5月5日に鯉供養を行っている。市内中心部の湧水スポット「鯉の泳ぐまち」で、供養と同時に放流を行うことで、観光客誘致に一役買っている。
子どもに受け継ぎたい感謝の心
9.4に思う日本人のアイデンティティー

このように、日本全国各地で様々な形で見ることができる供養の姿。供養に携わる方は、いずれも「これからもずっと残していきたい」と口を揃える。一方で、世相を見渡してみれば、人やモノに対する感謝の気持ちがまったく感じられない傲慢不遜な物言いや、理不尽で不幸な事件であふれている。日本人の供養する気持ちは失われてしまったのだろうか。
服飾評論家の市田ひろみさんは、子どもたちに供養の気持ちを自然と教える「地蔵盆」の風習が、生まれ育った京都を始め、日本各地で次第に下火になっていることを憂えているという。
市田さんは、こう話す。
「特定の宗教に偏ることなく、ご先祖様や周りのモノに対する感謝の気持ちの大切さを子どもに伝えるのは、大人の責任だと思います。それは躾(しつけ)の一環でもあります。もし家庭だけでそれができない環境にあるのなら、学校や地域で支えてあげないといけない。
そうした意味では、供養の気持ちを忘れないという思いから、9月4日が『供養の日』と定められたことは、とても意義のあることだと思います。
日本人は、出産、成人、結婚、死別といった通過儀礼のたび、家族で集まり、供養の気持ちを新たにしてきました。『供養の日』も、その通過儀礼の一つとして、心穏やかに過ごしていただければと思っています」
供養の気持ちを忘れないということは、日本人であることの証し。「供養の日」は、日本人としてのアイデンティティーを改めて確認する日でもあるのだ。