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心を動かされた瞬間、僕はシャッターを切る。

心を動かされた瞬間、
僕はシャッターを切る。

写真家
佐藤 健寿Kenji Sato
SCROLL
佐藤 健寿氏

タイの仏像やロシアの宇宙ロケット、
モンゴルの少数民族、アメリカの奇祭など…
世界中の奇妙な風景・風習を求めて旅し続ける
写真家・佐藤健寿さん。
そんな佐藤さんに今回、
宇出津八坂神社(石川県能登町)で毎年行われている
「あばれ祭※」の様子を撮影していただきつつ、
写真へのこだわりなどを語っていただきました。

※あばれ祭
寛文年間(1661~1673)に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を勧請して
盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救った。
喜んだ地元の人々がキリコを担いで八坂神社へ詣でたのが始まりとされる。
石川県の無形民俗文化財にも指定されている。

「あばれ祭」(2024年)は7月5日・6日の2日間にわたって開催された
「あばれ祭」(2024年)は7月5日・6日の2日間にわたって開催された

Chapter
01

炎と情熱に圧倒された「あばれ祭」

能登半島地震から半年…葛藤の末に開催

年季の入ったベテランから幼い子どもまで老若男女が力を合わせてキリコを担ぐ

能登半島地震から半年…葛藤の末に開催

「あばれ祭」は人々が高さ7メートルもある奉燈(キリコ)を担いで町をねり歩き、2基のお 神輿 みこし を海や川、火の中に投げ込んで傷めつける…という、ものすごく変わったお祭りです。僕も以前から噂は聞いていたものの、実際に訪れるのは今回の撮影が初めてでした。
能登町は能登半島地震(2024年1月)で大きな被害を受けた自治体の一つで、町の人の中には(あばれ祭は)「今年は無理じゃないか」「やるべきでないのでは?」という意見もあったそうです。一方で、「あばれ祭で元気を出そう」「全国からの支援に感謝を伝えるためにも実施すべきだ」という声もあり、様々な議論を重ねた結果、実施に至ったと聞きました。

“身の危険を感じるほど”の炎が人々を魅了

クライマックスでは神輿を川に投げ込み、コンクリートに擦り付けて傷めつける

“身の危険を感じるほど”の炎が人々を魅了

今年はそんな特別な想いが込められていたからなのか、それとも毎年そうなのかは分かりませんが、お祭りはとんでもなく迫力に満ちたものでした。僕もこれまで世界中で火を扱うお祭りを見てきましたが、迫力では一番と言っていいものでしたね。撮影中に火の粉をシャワーのように浴び、あまりの熱さに身の危険を感じたほどです。しかしその分、被写体としての魅力も素晴らしく、僕は何度も心を動かされて、そのたびにシャッターを切りました。
地元の人に聞いた話では、進学や就職で町を離れた人たちは「正月と盆に帰省できなくても、あばれ祭だけは必ず帰ってこい」と言われるそうです。それだけ思い入れのある催しだけに、地域の人々の熱気には凄まじいものがありました。祭りの中心でキリコやお神輿を担いだり 松明 たいまつ を運んだりしている人たちはもちろん、太鼓や笛を鳴らしている人々や、それらを憧れるように見ている子どもたちもみんな、夜の闇の中で強烈な炎に照らされながら一体になっていく。
僕は以前、アメリカで「バーニング・マン」という人の形をした造形物を燃やすイベントを撮影したことがあるんですが、あばれ祭に比べれば、あちらの方が はる かに安全だった気がする。そうした激しい祭に大人も子どもも皆で参加することで、地域の結束を強める重要なイベントになっているのだなとも考えさせられました。

炎と水の中で気付いた「R5」の“意外”な優位性

神輿を作る職人は「絶対に壊れない頑丈なものにしよう」と闘志を燃やすという

炎と水の中で気付いた「R5」の“意外”な優位性

今回の撮影には「EOS R5 MarkⅡ」を使用しました。いまさら言うまでもありませんが、ホワイトバランスやシャープネスなどの機能は申し分ない。パワーも十分だし、感度も素晴らしく、撮影中に「ISO800くらいかな」と思ってよく見たら「12800」と表示されていて驚きました。
火の粉を浴びたり、川の水がかかったりと、僕の中でもかなり過酷な撮影になりましたが、トラブルは一度もありませんでした。意図していたわけではないのですが、結果として堅牢性に優れていることも実感できましたね(笑)。
また、1日に1,000枚以上を撮影しましたが、予備で持っていった2つ目のバッテリーを使う必要はありませんでした。海外での撮影では、環境的に充電が難しかったり、飛行機に持ち込めるバッテリーの数が制限されたりするということがよくあります。バッテリーの持ちがいいR5 MarkⅡは、本当にありがたいですね。

米ネバダ州のブラックロック砂漠で開催される奇祭「バーニング・マン」
米ネバダ州のブラックロック砂漠で開催される奇祭「バーニング・マン」

Chapter
02

独自の写真、世界観にたどり着くまで

原点は「インディ・ジョーンズになりたい」

「子どもの頃はとにかく“怪しげなもの”に惹かれました」(佐藤さん)

原点は「インディ・ジョーンズになりたい」

子どもの頃はテレビでよく「世界の秘境」とか「UFO」、「徳川埋蔵金発掘」みたいな番組を見ていましたね。映画だと『インディ・ジョーンズ』シリーズが好きで「僕も大人になったら洞窟とか行ってみたいな」なんて思っていました。
高校時代は美術大学か考古学を学べる大学かのどちらかに行こうと考えていたんですが、考古学者の吉村作治さんが講演で「(考古学は)一般的にイメージされているよりずっと地味」「仕事の何割かは資金集め」と話されているのを聞いて、「ちょっと違うかもしれないな」と思い、考古学の道は断念。美大の映像学科に入って映画やCG、メディアアートなどいろいろやってみた結果、「一人でできて身軽でいい」という理由で写真を撮り始めました。

「エリア51」の撮影で覚えた“異常な満足感”

「エリア51」は世界中のUFOマニアが憧れる“聖地”として知られる

「エリア51」の撮影で覚えた“異常な満足感”

美大を卒業した後、アメリカでまた大学に入りました。そこである時「アメリカの州を撮影する」という課題が与えられまして。(大学のある)カリフォルニア州の隣はネバダ州か…と考えてすぐに思い浮かんだのが「エリア51」でした。
米軍の施設であるエリア51は「墜落したUFOが運び込まれている」という うわさ のある場所で、子どもの頃に見た「UFO特番」でも出演者がヘリコプターに追いかけられたりしていた“憧れの地”。実際に撮影に行ってみたところ、「侵入したら撃たれる」という看板があるだけで、別に何にもない。本当に何もないんですけど、僕としては異常なほどの満足感が得られたんですよ。とにかくもう、すごく楽しくて。

“皮膚感覚”に導かれ、旅する写真家に

何体ものモアイ像がそびえ立つ絶海の孤島「イースター島」

“皮膚感覚”に導かれ、旅する写真家に

美大生が作品を作るとなると、抽象的で小難しいテーマを設定しがちです。僕自身も美大時代は「時間と存在」なんてテーマで撮影したりしていたんですけど(笑)。そんなことに心から興味があったわけではないので、ぜんぜん に落ちてなかったんですよ。
でもエリア51を撮影した時には初めて「皮膚感覚的に面白い」と思えたんです。写真を撮ることはもちろん、撮影地まで旅することも、現地の実際の様子を見たり聞いたりすることも、ぜんぶ楽しかった。これこそが自分がやりたかった「インディ・ジョーンズ的なこと」だったのかなと、後で思ったりもしました。
それを機に、モアイ像で有名なイースター島やマチュ・ピチュ、雪男伝説のあるヒマラヤへ出かけて撮影しているうちに、日本で「写真集を出版しませんか」という声をかけてもらって。そんな流れで、僕は写真を仕事にしていったんです。

世界でも珍しい“洞窟の中にある村”として知られる中国貴州省「中洞組」
世界でも珍しい“洞窟の中にある村”として知られる中国貴州省「中洞組」

Chapter
03

作品づくりにおけるこだわり

撮りにいくのは「?」か「!」を感じたものだけ

「興味を持てないのに『仕事だから』と撮影すると失敗します(笑)」(佐藤さん)

撮りにいくのは「?」か「!」を感じたものだけ

撮影に行く場所や被写体を決める際は、自分自身がそこに「?」(はてな)か「!」(びっくり)を感じられるかどうかを基準に考えるようにしています。いろんな情報に接する中で「何だこれ?」と感じたり、「すごい!」と驚いたりするものは撮る。そのどちらにも当てはまらないものは、基本的に撮りに行きません。今回もあばれ祭について「なんでこんな祭りが行われるんだろう?」「すごいエネルギーだな!」と感じたから撮影しに行ったわけです。
時々、「奇界遺産の定義とは?」みたいな質問を受けることがあるんですが、人に説明できるような定義や基準は本当にないんです。ただ自分が「面白いな」って思えて心を動かされたものを撮影しにいって、それらを「奇界遺産」と呼んでいるだけ。逆に、いくら仕事として依頼されても、自分が「?」も「!」も感じられないものは、どうしてもうまく撮れません。

コンテンツをより広く、深く届けるために

宇宙ロケットの撮影(バイコヌール宇宙基地)では「ノウハウ」がなく苦労した

コンテンツをより広く、深く届けるために

現代はアナログからデジタルまで様々なメディアがあるにも関わらず、クリエイターが作品を世に届けることがすごく難しい時代だと感じています。写真にしてもサブカルチャーにしても、様々なジャンルが 蛸壺 たこつぼ 化して、各ジャンルのオタクや重鎮みたいな人たちだけが互いに作品を鑑賞しあっている。一方で作品をSNSに投稿したりテレビで発表したりすると、表層的なところにフワッと広がるだけで、すぐに消費されて消えていく。
自分のコンテンツをより広く深く届けたいなら、重鎮にもインフルエンサーにも“テレビの人”にもなってはいけないと思う。だから僕は、本や写真展などを通じて作品を発表する上で「複数のテーマや文脈を接続する」ということを強く意識しています。それが「オカルト」や「世界遺産」「宇宙ロケット」といったジャンルの異なるものをすべて「奇界遺産」という括りでまとめて発表している理由の一つです。

“ピーク”を逃さず捉えるには「事前のイメージ」が大事

事前のイメージ通りに撮影できた「ネネツ族」の子どもとトナカイの群れ

“ピーク”を逃さず捉えるには「事前のイメージ」が大事

撮影の中で最も大事にしているのは「ピークを逃さない」ということですね。祭りはもちろん、廃墟や少数民族の撮影でもピークというのは必ずあるんです。僕の撮影ではロケハンができないことも多々ありますから、ピークを撮り逃がさないために、事前にイメージしておくことが欠かせません。
例えば、ネネツ族というロシア極北地方に暮らす先住民族を撮影した際には「雪原に張られたテントの前をトナカイたちが走っていて、そこに子どもたちもやってくる」というシーンをイメージして撮影に臨みました。おかげで自分的にとても満足できる写真が撮れました。

夜が更けるにつれてボルテージが高まっていった「あばれ祭」
夜が更けるにつれてボルテージが高まっていった「あばれ祭」

Chapter
04

自分だけの1枚を撮るために

撮影へのスタンスが生み出す“自分だけの何か”

「プロのセオリーではなく、ふらっと訪れた“旅人の目線”で撮りたいんです」(佐藤さん)

撮影へのスタンスが生み出す“自分だけの何か”

2021年に『世界』(朝日新聞出版)という過去20年の集大成みたいな写真集を出版しました。その時、改めて自分が撮ってきた写真を見返す中で「やっぱり“自分だけの何か”が出ているもんだな」と感じました。自分で自分の写真を語ることは難しいんですが…写真家というより、旅人の目線が強く出ているのかなと思います。一般的にプロの写真家は、被写体の個性を際立たせようとしますよね。ビルなら下から あお って撮影して、より高く見せる…みたいな。僕はそういうのをするのがどうも嫌で。ふらっと立ち寄った旅人みたいに、見たままの景色をそのまま出すような感じで撮る。だから仕上がった写真を見ると、どれも何というか、淡白なんですよ(笑)。
例えば少数民族の写真を撮影しに行った場合、現地の人たちと仲良くなって笑顔を引き出すのが、写真家としての王道かもしれない。でも僕はいくら彼らと仲良くなったとしても、そうして撮影した写真を本として販売するわけです。相手はそんなことを知らないのに、下心をもって笑顔を引き出して撮影することが、誠実でない気がするんです。そんなことをするくらいなら、むしろ“よそ者”として振る舞って、こちらに対して異物感を抱いたままの彼らを撮影させてもらう。僕はそのスタイルの方がしっくりくるんです。

新しい写真の可能性は「ノウハウから離れたところに」

葛藤の末に開催された「あばれ祭」の熱気は地域の結束を感じさせた

新しい写真の可能性は「ノウハウから離れたところに」

スマホが普及したこともあって、現代はかつてないほどの数の写真が撮影されている時代といわれます。SNSを見れば“キレイ”で“うまい”写真が数えきれないほど並んでいて、そうしたものを撮影するノウハウも検索すればすぐに調べられる。だから結局、誰が撮った写真も似てきてしまっているように思います。
実際、フォトコンテストの審査員として応募作品を見ていた時、違う人が撮った別の作品なのに、被写体も画角も撮影した時間帯も色味も、とにかくそっくりの2枚を見て驚いたことがあります。こんな時代だからこそ、小手先のノウハウから離れたところに、新しい写真の可能性が見えてくるんじゃないでしょうか。

「いいね」のためではなく、心から撮りたい1枚を

R5の高度な性能と 堅牢 けんろう 性は佐藤さんの過酷な環境での撮影を支えていく

「いいね」のためではなく、心から撮りたい1枚を

「賞を獲る」とか「SNSでいいねをもらう」といったことを目的に撮影をすると、どうしても狙いや作意が強く出てしまいますよね。僕はそうしたものを手放した瞬間にこそ、写真に魅力をもたらす何かがフワッと入ってくるんじゃないかと思っているんです。
写真を撮ることが、誰かに褒められたり承認されたりするためだけの活動になってしまったら、すごく むな しいじゃないですか。そんなことよりも、自分が撮りたいから撮る。その結果として「うまく言語化できないけどなんか好き」と思える写真がどんどん増えていったら、写真の世界はもっと面白くなると思っています。

佐藤 健寿氏
写真家
佐藤 健寿さんKenji Sato
代表作『奇界遺産』シリーズ(エクスナレッジ)は写真集として異例のベストセラーに。ほか著書に『世界』『THE ISLAND – 軍艦島』、『CARGO CULT』など。写真展は過去、ライカギャラリー東京/京都、高知県立美術館、山口県立美術館、群馬県立館林美術館、米子市美術館などで開催。「佐藤健寿展奇界/世界」が全国美術館で巡回中。TBS系「クレイジージャーニー」ほかメディア出演多数。